韓国海軍、これから建造する潜水艦6番艦に「柳寛順」と名付けることに

気が早いな。

独立運動柳寛順烈士、最新鋭潜水艦に復活

2015/03/01 10:16送稿
(ソウル=連合ニュース)ギムグィグン記者=日本植民地時代の独立万歳運動を主導している途中殉国した柳寛順(1902.12~1920.9)烈士が、韓国海軍の最新鋭潜水艦に復活して領海を守ることになった。
韓国の最新鋭潜水艦と言えば、ドイツ製の214型の改造版だが、色々と問題があった様な気がする。解決したんだろうか?


これまでも散々ブログで説明してきたのだが、簡単に潜水艦に関して触れておこう。
韓国が運用する潜水艦は、209型と214型の2タイプ。このうち最新型の214型は、5隻作られている。そして、その命名ルールは抗日の実績のある人物というから凄い。
<214型潜水艦>
  • 1番艦「孫元一」 ← 初代海軍参謀総長(1909~1980)
  • 2番艦「鄭地」 ← 倭寇討伐で功を上げた軍人(1347~1391)
  • 3番艦「安重根」 ← 伊藤博文殺害のテロリスト(1879~1910)
  • 4番艦「金佐鎮」 ← 朝鮮の独立運動家(1889~1930)
  • 5番艦「尹奉吉」 ← 抗日武装組織所属のテロリスト(1908~1932)
  • 6番艦「柳寛順」 ← 抗日デモ活動参加の民間人(1902~1920)
見事にテロリストだらけである(苦笑)
大宇造船海洋で建造中の柳寛順は、4月末進水された後、試運転などを経て、2016年11月海軍に引き渡される予定である。
214型
214型の問題点が解決できたのかはよく分からないが、2015年4月末には浸水式を行う予定だって話なので、もう作っちゃった後なんだろうね。
問題点が発覚しても後続艦に反映されないというのは、ある意味凄い。
まあ、「抗日運動の実績がある人物」の候補が早くも枯渇してしまって、3番艦から既に民間人の名前になっている。
これ自体が軍としては、かなり救い難い状況ではあるのだが、今回は女性の名前を潜水艦の名前として採用するのだとか。クネクネへの援護射撃的な意味合いもあるんだろうね。



ここで、柳寛順なる人物が、如何なる実績を持っているかについて説明しておこう。
柳寛順烈士は梨花学堂在学中の1919年3月5日、ソウル南大門独立万歳運動に参加し、続いて4月1日、忠南、天安市ビョンチョンミョンアウネ市場の独立万歳運動を主導している途中、日本に逮捕され、西大門刑務所に収監された。
記事ではこう説明されているが……、あれ?おかしくない?
韓国では「3.1独立運動」というのが神聖化されて祝日に制定されている。韓国の独立を祝する記念日として認定されているためだ。そして、1919年3月1日を切っ掛けに韓国の独立運動が活性化し、1919年4月13日に大韓民国臨時政府というのが何故か中華民国の上海で結成されている。

まあ、この臨時政府は正当性が認められていないので、その後の活動もイマイチ支持されていないようなのだが、この大韓民国臨時政府こそが正当な韓国の始まりに位置づける人もいるらしくややこしい。
韓国には実は建国記念日が存在しないので、この3.1節がそれに準ずる日として神聖化されている模様。
で、この「3.1独立運動」の最初の独立宣言に、柳寛順なる人物は参加……していない(苦笑



実は、この柳寛順なる人物、3.1独立運動の際には京城(現在のソウル)の梨花学堂(ソウルの私立大学「梨花女子大学校」の前身)に給費生として通っていたらしい。
で、「3.1独立運動」が勃発すると、朝鮮総督府から各学校に対して休校命令が下され、3月13日に故郷の天安に帰る。記事では3月5日に「ソウル南大門独立万歳運動に参加」とあるが、帰郷後に協会関係者などを通じて万歳デモを計画したとされていて、イマイチ整合性が採れない気がする。

そして、4月1日に、柳寛順は天安の並川市場でのデモ行進に参加している。彼女の両親はこの日のデモに参加して相次いで死亡しているとされるが、明確な資料は無い模様。
当の柳寛順もこの日に日本の憲兵警察に逮捕されているのだが、柳寛順のこの事件への関与に関する裁判では、「デモの主導者であった」「演説を行った」などの事実は認定されておらず、内乱罪の適用も無かった様だ。史実としてデモ参加者達と同様に懲役2年6箇月との判決を受けている。これに対して彼女は上告をしなかった模様。

そして、服役中に獄死したとされているのだが……、死亡時期も諸説あって定説は無いようだ。

「柳寛順への日本の蛮行、誇張多い」 

2002年02月26日21時21分
  「柳寛順(ユ・クァンスン)烈士について誤って理解されている点を正してみたかったのです」。この4年間、柳寛順研究に没頭してきた郷土史家の任明淳(イム・ミョンスン、55、忠清南道天安市社稷洞)さん。
  天安(チョンアン)大にある柳寛順研究所の客員研究員でもある任さんは「柳寛順に関連した内容が、1945年8月15日の解放以後、植民地時代に日本が行った蛮行を糾弾するという意味合いから、誇張され過ぎてしまった感がある」と主張する。
それどころか、韓国の新聞にはこんな記事すら出ている。
  「三一運動=柳寛順」というイメージを持つ柳寛順だが、出生・死亡年月日は記録によってまちまちだ。名前の漢字表記や兄弟の数、梨花(イファ)学堂に入学した年度も、やはりそれぞれ異なっている。
生年月日も漢字表記もハッキリしないというのが、神話級の人物だと言うことを伺わせる
  任さんは、柳寛順の最終刑量は、懲役7年でなく3年だったと主張した。京城(キョンソン)復審裁判所(控訴審)の判決文と受刑者記録表によると、柳寛順は小学校の教科書にあるように「検事に椅子を投げつけたため法廷冒とく罪が追加され、7年の刑を宣告された」のではなく、3年の刑を受けたという。その後、柳寛順は高等裁判所(現在の最高裁)に上告せず、これが最終刑量になったという。
検事に椅子を投げつけるという野蛮な行為が神聖化されるのだから理解しがたい。が、どうやらそれもハッキリしない模様(裁判記録には無いらしく、裁判記録から省く理由も無いと思われるので、事実では無かったのだろう)。

そもそも、この3.1独立運動は韓国の「天道教」「キリスト教」「仏教」の宗教指導者達が主導して計画された独立運動だった。そして、柳寛順の故郷の天安では、その運動が非常に活発だった模様。
朝鮮全土に拡大した三・一独立運動だが、朝鮮総督府の集計によると1919年4月の1ヶ月間で天安郡での反日デモ11回、デモ参加者6,400名、死亡者82名、負傷70名、被逮捕者189名。全体の死亡者553人のうちの82名が天安郡に集中している。
柳寛順がデモに参加した背景には、柳寛順がキリスト教メソジストの米国人女性宣教師アリス・シャープの援助によって学校に通っていたことと深い関連がありそうだ。

聡明な人物だったと言うから、演説をした可能性は排除できないものの、ソウルで学ぶウチに思想が過激化して、帰郷してからも運動に参加したという流れは分かる。が、果たして首謀者として取り扱われるような地位にあったというのはちょっと考えにくい。投獄中に激しい抗議をしたと言う風に伝えられているようだが……、単に態度が悪かっただけという気もする。
いずれにせよ、柳寛順の活動実績は非常に乏しい点に変わりは無い。



とまあ、こんな人物が「英雄」として取り扱われる韓国の歴史に哀れみの感情が湧いてしまうわけだが、神格化されたからこそ、の命名であるとも言えよう。

目立った活躍も無かった民間の女性の名前を潜水艦に付けるとは、なかなか斬新である。
そのうち、自称慰安婦のお婆さんの名前が付けられる日も来るのかも知れない。


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コメント

  1. ジャンヌダルクなら「従軍慰安婦」造語の生みの親「梁順任」も候補に入れて欲しかった。(笑

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    1. いやー、韓国が存在し続ける事が出来るのであれば、早晩リスト入りする気がします(苦笑

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