2015年3月11日水曜日

東日本大震災から4年

これを書くと結構炎上しそうなのだが、僕自身は今の流れにそろそろ辟易としている。

東日本大震災と原発事故発生から4年 風化を懸念

3月11日 4時20分
東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所事故の発生から、11日で4年となります。全国でおよそ22万9000人が避難生活を余儀なくされていますが、復興がなかなか進まないなか、被災した人の間では震災や原発事故への関心が薄れていく「風化」を懸念する声が強まっています。
確かに、震災の教訓は生かしていくべきだと思う。だけど、記憶というモノは徐々に風化するものではないのかね?


とはいえ、先ずは被災され、生活を取り戻そうと尽力されている方にはエールを送りたい。そして、命を落とされた方には冥福を祈ろうと思う。

で、最近はテレビ番組でも割とこの手の話がガンガンと放映されているようなのだけれど、個人的には華麗にスルー。
4年前の平成23年3月11日午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、高さ10メートルを超える大津波が東北や関東の沿岸に押し寄せました。直後から東北と東日本の各地で激しい揺れの地震が相次ぎ、余震活動が続く東北沖では2月も津波を伴う地震が起きています。

正直、あの規模の地震はそうそう来ない。というか来て貰っては困る。だから、防災、減災の体制を整えていくことは必要なのだけれど、悪戯に恐怖心を煽るだけの報道や、震災の感傷に浸るだけの報道は、何か違う気がする。

聞く話によると、悲惨な体験談を各地で公演したりといった行事も開かれている様だが、「ああ、又その話」というレベルになってきている気がするのだ。


正直、一番やっていけないのは、神話化、タブー化であると思う。

 

例えば、「安全神話」とあれほど原発を攻撃しながら、一方で、あれだけの地震や津波に曝されながらも、福島第1原発以外の原子力発電所には被害を出した原発(それなりに修理を要した所もあったようだが)が無かったことは正当に評価されないというのは、些か公平性に欠けるのでは無いか?

避難に成功した事例などももっとしっかり検証すべきでは無いのか。

何より、痛ましい事件の記憶は、寧ろ忘れていくべきでは無いのか。

復興の必要性を声高に叫ぶが、現実的には対費用効果も考えるべきであり、予算が有効に使われない実態を改善すべきではあるが、使われない予算を豚積みを許すくらいならば、いっその事もっと優先順位を付けて予算の集中投下による効率改善を目指すべきではないのか。

「公平に」という意見が足を引っ張るのであれば、それをすり潰してでも政治的に進めた方が長期的な視野で見て、有益なのでは無いのか。


タブーの存在は、そのまま利権構築に繋がりかねない。

事実、こちらの記事で触れたような話も出てきているのである。これこそタブー化の弊害の一端ではないのか。

実は以前にもこんな不謹慎な記事を書いた。
そして、その想いは今もたいして変わっていない。

震災を奇貨として、東北を作り替える。それこそが求められるべき道なのだろうと、その様に思う。そうした意味では、いつまでも大震災の感傷に囚われ続けるべきでは無い。

4年経った今、今一度、あの震災との向き合い方を考え直すべきなのだと、そう思う次第。


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