PTAは必要か?

菊池桃子氏がぽろっと言って槍玉にあげられた感のあるPTAだが、これって本当に必要なの?と言う話。

「爆破したいくらい嫌い」仕事を休んで会合、教員との飲み会も…PTA役員の重すぎる負担

6/9(金) 18:10配信
■「もともと任意活動であったはずなのに」菊池桃子も苦言
 “PTA活動はもともと任意活動であったはずなのに、なぜかすべての者が参加するような雰囲気づくりがなされているー。“
 昨年2月、政府の民間委員を務めているタレントの菊池桃子さんの発言が大きな波紋を広げたPTA活動。そもそも第二次大戦後、GHQなどの指導により、保護者と教員が協力し(PTA=Parent-Teacher Association)、子どものための活動を行うものとして始まったものだ。

まあ色々な話はあると思うが……、中身を知らないことには始まらない。



まずこの辺りの記事を紹介したい。

PTA強制加入なの? 入退会巡り規定論議

2017年05月15日 11時10分
 佐賀市の複数の小中学校で、PTAの入退会のあり方が議論になり始めた。事実上の「強制加入」となっている現状に対し、保護者から疑問視する声が上がり、退会する事例も発生している。他県では入退会を巡り訴訟に発展したケースもあり、会則の見直しを視野に議論する小中学校も出ている。任意性を強調すれば退会者が増え、PTA存続に関わるとの懸念があり、慎重に議論している。
PTAは強制参加なのか?という話が騒がれているが、本来的には強制参加では無い。だから退会も可能だ。
でも、実質的には強制参加になっているのが実情である。

この辺りの話は、「子供会」という組織や、「自治会」という組織にも似たような性質がある。
子供会や自治会に参加しない家庭も増えている様だが、この手の団体も「強制力」がある。入るのが当然と言った空気はあるのだ。



裁判にはこの辺りの話が問題となった。
 熊本県では、保護者が同意書のない入会などに問題があるとしてPTAを相手取り訴訟を起こした。両者は今年2月、福岡高裁で「PTAが入退会自由であることを保護者に十分に周知すること」などを和解条項に盛り込み和解した。
 佐賀県内でも入会同意書はなく、慣例的に「入学=入会」となっている。PTAを取り巻く環境が変化していることや訴訟に発展するリスクなど熊本県の事例を踏まえ、佐賀市PTA協議会には2月以降、入退会のあり方について問題提起する意見が寄せられたという。
で、「入会は任意」であり、「退会が可能」という文言を盛り込む事になったとか。
でも、この文言が入ったからといって、それほど現状が変わるとも思えない。日本は良くも悪くも同調圧力が強い所が多いので、「でも入ろうな」という雰囲気が醸成されるというのは避けられないだろう。
 
それは事実だと思うし、多くの人が感じていることだとは思う。



しかしこの話は大元がおかしいのである。

菊池桃子氏がPTA活動について問題提起 ワーキングマザーに代わって… 1億総活躍国民会議

2016.3.25 19:15
 政府は25日夕、関係閣僚と有識者による「1億総活躍国民会議」を首相官邸で開いた。会合終了後、民間議員でタレントの菊池桃子氏が記者団の取材に応じ、「PTA活動はもともと任意活動なのに、すべての者が参加するような雰囲気作りがされている」と述べ、PTA活動がワーキングマザーの重荷になっていると問題提起したことを明らかにした。
これが菊池桃子氏の発言の要旨なのだが、一番最後に、中身を知っている者の発言だな、と思う言葉がある。
しかし、PTA活動に、決して否定的になってはいけないと思います。実際に、これまでのPTA活動が子供たちの成長に、また学校教育の場に寄与してきた部分、貢献してきた部分を評価しなくてはなりません。その上で、まったくなくすということではなくて、何か課題が起こっているのならば、という、新しく、ミクロ視点っていう、現場の声を政府の方に上げるということも各議員にお願いした次第です
結局、菊池桃子氏は「PTA活動は大切だけど、働くお母さんには負担だから改革しろ」という事を言ったに過ぎないのであって、「PTAは止めて良い」とかそういう話とはちょっと違う。

まあ、その上で少し組織的な話をしたい。
僕自身はPTA役員になった経験は無いが、似たような組織に入って活動した期間がある。子供会の関係である。だから、多少はその中身も分かる。連携する団体だからね。


で、PTA(Parent-Teacher Association)とは、各学校で組織された、保護者と教職員による社会教育関係団体のことである。
 「PTA役員になったとき、一番いやだったのは新旧歓送迎会かな。会費払って先生と夜の飲み会って何?と思った」
冒頭の記事には、こんな話が書かれているが、いや、バカ?何言っているの?と思ってしまう。だって、保護者と教職員による団体だって言うなら、教職員も団体の一員でしょう?それを新旧歓送迎会で親睦を深める機会があっても不思議ではない。
歓迎会というのだから毎月あるような飲み会でもないのだろう。

まあ、今は先生方も保護者との距離間を非常に大切にする時期にあるので、こうした飲み会は多くの学校では開かれないのだと思う。

なお、PTAは子供会同様に全国組織があって、一応、地域ブロック、地区ブロックと階層型の構造となっている。
だから、あり方についても色々と問題提起はされていて、それなりの改善模索ということはやられるのだが……、学校単位で作られる組織であるので実に地域性が強い団体となる。



で、地域の特色は出て来るとは言え、全体としては問題点の是正の指導は出さざるをえないのであり、そうした飲み会の有無も含めて、今、PTAのあり方は問われているのだと思う。
 「子供達の為の活動ならともかく保護者向けの講習会なんかいらないと思うんだよね。ビーズアクセサリーとかヨガとか。あれがなければうちの学校の場合、各クラスで委員が一人ずつ減らせるのに」
 「PTAほんと爆破したいくらい嫌い。書類作ってやっても、2ミリ左右余白が合ってないからって、訂正指示とかむかついたし。何様なの?」
こんなのPTAの内部の問題で、ハッキリ言って内輪もめの話なのである。PTAも長らくやる人がいたり、組織を私物化して文句を言う人がいたりと、どうしても人間性が問題になる事がある。
これはPTAのあり方とは直接的には関係が無い。が、民主的な手続で代表が決定される訳でも無いので、パワーゲームになりがちであり、どうしても発言力の強い人が力をもって統治していく形になりやすい。
そうした人が引っ張っていかないと、組織が回らないのである。全国組織とは言え、結局、学校単位の組織のトップが実験を握る構造は子供会と何も変わらない。そして、担い手が年々変わっていくことを考えれば、複雑なことはできない。だからこそ、組織のトップの意向が強くなってしまうのだ。
 


ここで問題なのは、運営が独善的になりがちなのである。組織の中には「ビーズアクセサリー」の講習会がやりたい人もいれば、参加したくない人もいる。
あまりシステマティックになりすぎると、参加する人が精神的に負担になりやすいので、息抜きできる企画を挟む、それはあってもおかしくは無い。が、参加したくない役員にしてみれば、「下らないことに時間を採られたくない」と思っても仕方が無い。コレは事実である。
 
しかし、PTAの真の目的は、児童生徒の健全な発達に寄与するために、「保護者と教員が学び合うこと」と言う事になっている。そして、「民主的な手法で運営するという設計思想」が盛り込まれている。
ところで、「真の目的」と書いたが、実際に何をやるのかは、その団体に一任されている。例えば、地域活動、運動会をやったり、学校清掃をやったり、という「模範的」な活動から、上述の「ビーズアクセサリー作り」とか「ヨガ」なんかも必要があると思えば、やって問題は無い。
もちろん、それは民主的な手続きによって決定された場合に限られるわけだが……、ただ、素人集団がボランティアでやる話。企業以上に意思決定は上手く回らないし、民主的組織というのは、建前の部分が多い。



ただ、ここで一つ問題がある。
 学校がPTA会員の子どもと非会員の子どもを差別的に扱うことは、憲法14条1項の平等原則の問題になる。
PTAに参加しない家庭が存在したとして、その子が学校側から差別的な扱いをされることは問題である。が、PTAの活動において非会員の子が差別的な扱いをされる事は問題なのだろうか?
答えは「問題である」と言う事になる。
何故か?上で書いたが、保護者と教職員が会員の組織であって、その子供は全て非会員なのである。つまり、会員の子供だろうが非会員の子供だろうが、差別をされるべきではないのである。

例えば、PTAがPTAの活動費から学校の卒業生に対して花束を用意したとして、それが非会員の子供には渡されず、会員の子供だけに渡されるケースが出てきたとする。こんな事例は実際ある様なのだが、まあ、それはさておく。
しかし、PTA会員が出したPTA活動費を非会員の子供に配るのはおかしいのでは無いか?という疑問は当然でる。
何故なら、やりたくも無いPTA活動をやっているのだから、PTAを回避している親と同等に扱われるのは嫌だ、という気分にはなるだろう。

だがしかし、「子供に記念品を配る」と決めたのは、PTA自身なのだから、そこはその判断がおかしかった、と言わざるを得ない。
本来の目的に立ち返れば、「先生と保護者とが、子供達のためになる事を学ぶ機会」とすべきなのである。




そうだとすると、運動会の景品などを配ったりしても仕方が無いのだ。本来は何かの勉強会を企画したり、或いは子供達の為に勉強するなんて事をすれば良いのである。でも、先生も保護者も、面倒な事を嫌って、新しいことをやりたがらない。だから、運動会や卒業式で景品を配るのである。誰も文句を言わないから。
しかしそこで、「非会員の子供には配らない」という話をしちゃうと、これ、問題になる。だったらそもそも配るなと。

もちろん、形に残ることをすれば、「成果を出した」と言うことが分かり易い。だから、成果の出しにくい勉強会をやるというのは気が引けるのだろうけれど、前提が違うのだと言うことはここで言及しておきたい。

で、冒頭のPTAの必要性なのだけれど、これは本来はあって然るべき組織だと、その様に認識している。教師と保護者は距離を取るようなご時世だが、本来は相互理解を深め、子供為に同あるべきかと言うことを共に模索すべき関係にあるハズなのだ。
しかし、教師1に対して保護者多数という関係では、健全な関係を確立出来ない。多数対多数という形での関わりの中で、相互理解を深めようというあり方は、あるべきなのである。

そうすると、後はPTAの担い手の問題となってしまう。先生方は立場上どうしても受け手に回ってしまうのは仕方が無いので、保護者側がきちんと責任を持つべきだろう。

負担に感じても、参加して良かったと思える勉強会を開くべきなのだ。そう、本末転倒な話なのだが、PTAは保護者から必要と思われる活動を推進していくべきなのである。今のように「必要か?」と疑問に思われること自体が問題だと、そういう話になる。

まあ、そうは言ってもPTAはボランティア活動なのだ。金が出ないのに、そんなに力を注げないよ、そういう人の気持ちは分かる。

しかし、地域組織の担い手は必要で、これが無くなったときに、新たに作ると言うことは非常に金と時間を使うものである。更に、PTAというのは非常に強い力を持っている。PTAブランドと言っても良い。かなり好き勝手なことが出来るのである。
その力を利用して、「好きなことが出来る(但し子供達のためになる事)」という、自由が得られるのだ。自分のために権力を使おうとするアホが結構いて問題となるが、本来の使い方を出来るのであれば、これは大変に貴重な機会になるのだ。

地域組織の維持にはコストがかかり、そのコストはお金で支払われているのでは無い。その事を理解した上でPTAに参加し、自身の学びの機会とする、それが子供達のためになる活動、となるはずだし、そうしなければならないのだ。それは例えば「子育て」に関することであっても良いし、「いじめ」に関することであっても良い。

おっと、よく考えたら小学生の子供がいる僕自身もPTA会員だった。だからこそ、このニュースに触れたのだけれど、これを機に改めてやれることを考えていきたいと思う。

追記 (2017/6/13)
コメントを頂いたので、少し記事を紹介しておきたい。

たったひとりでPTAに立ち向かったママ 「私は壮絶バトルで役員免除を勝ち取った」

2017/2/24 18:00
   春は、可愛いわが子の入学・進級シーズンだが、母親にとっては憂うつな季節でもある。それは入学式などの後の保護者会で必ず行なわるPTA役員選び。
まずこちら。
家庭側、会社側の事情があってPTAを退会した人のお話だ。しかし……、この話で一番不憫だと思ったのは、PTA前会長である。もちろん、根回しが不十分でやり方がダメだったという点はあるが、僕自身がとある団体の会長選出にあたって直前になって候補に逃亡された経験を持つだけに、何とも不憫である。
事前に根回しをして、合意を取り付け、「やります」と言っておきながらの逃亡は、本当に腹が立ったのだが……、まあ、それとこの記事のケースは違ったようなので、擁護出来ない部分も多い。多いが、次期役員選出にあたって現役員が苦労しなければならないようなシステムは、設計思想そのものが間違っている。そして、それはその段階にならないと分からないと言う……。

もう一つ記事を紹介したい。

PTAをなくした小学校16年目の真実 「いいことづくめ」の美談のはずが...

2017/3/15 18:00
~~略~~
  この学校は東京の西東京市芝久保町にある市立けやき小学校だ。2001年に2つの小学校が統合して創立された。その時、それぞれの小学校のPTAの方針が大きく食い違って新しいPTAの運営方法がまとまらず、結局、保護者たちに強く望む人もいなかったためPTAをなくしてしまった。
~~略~~
高橋校長「いや、実は、やっぱり親たちの連絡組織が必要だということになり、2010年に『保護者の会』という組織ができたのです。本校は確かにPTAがありませんが、保護者の会には会長、副会長、会計、書記、庶務などの役員会があり、そのほかに運営委員会、学級委員会、地区委員会があります」



PTAを廃止して保護者の会が立ち上がった話である。
こういうあり方は良いことだと思うが、保護者の会とPTAの決定的な違いは、全国組織がバックに無いと言う事だ。
もう一つは、「保護者の会」には「PTA」の様なブランド力が無い。つまり、保護者の会の役員達は、その分、苦労を背負い込まねばならない状況なのである。
無論、やる気溢れる活動的な役員達が運営しているうちは良いが、それを後の世代に押し付けるのはやはり間違っていると思う。以前はPTAという箱が用意されていたが、今は、箱から作らねばならないのである。

新築の家を建てるのか、リフォームするのかでは、税制的な優遇も大きく異なるワケで。この辺りは知らねばどうしようも無い部分があり、親は賢くあらねばならないのだが、その機会を与えてくれるのはPTAという活動の場でもあるのだから、そこはよくよく考えねばならないだろう。

もちろん、家庭の事情があって役員が出来ない人がいて、そこに不公平感を感じてしまうのはどうしようも無い。「メリットが無ければ出来ない」という意見は分かる。だが、「機会を与えられることがメリットだ」と考えられないと、こんなボランティア活動などやっていられない訳で。

PTAの問題というのは、その運営状況や取り巻く体制が周知されていない(実は、調べれば山ほど出てくるが)ことこそが問題なのだろう。
まあ、その辺りは、僕が所属している団体にも言えることではあるが。



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コメント

  1. つまらないコメントを承知で書きます。
    うーん…と呻きました。
    私は死んだ嫁との間にも子供が無い。つまりPTA会員である現役の親である管理人さんのように発言権がない!
    しかし地元の子供の活動には寄付してきたし、そういう活動が必要と思います。住んでいる地元が荒れればスラム化すると思うし。
    とはいえ…医療に関わって飯を食ってきたので、
    シングルマザーの看護師や介護人や、柔道整師や理学療法師が周囲にいます。
    PTAが負担なのも理解せざるを得ないです。
    確かに木霊さんの言われる事は解る。解るが…

    何か生産的な子供たちへの活動をするならば、
    本当の意味での勉強は必要でしょう。でもインプットして、何かの学習目標を定めるには、かなりな労力がかかる。
    それを彼女らに強いるとなると、それは私の口からは言えません。
    すると金と暇のある方が音頭を取るしかない…となる気がする。するのですが、先のベトナム少女の事件を思い至ると、それも口を濁す。
    PTAを廃止したら、復活する時に多大な労力と金が掛かる…という木霊さんの意見は最もなのですが。でも日本で生きている父兄の大半には
    余力がない人ばかりでもあるのでは?
    いっそPTA廃止と言うのは暴論ですかね?
    それでカオスが訪れるのは木霊さんの弁からしても明らかです。
    でも、一回、廃止して「そこに現れる現実」に直面(父兄が)してみないと、誰もが必要性を感じて協力するPTAは産まれないのでは?
    暴論ですが、廃止してみて、シャッフルしてみるのは如何でしょうか?
    不公平感とか、時間の無駄遣い感てものは、今の日本で解消するのは難しいのでは?
    なら、いっそリセットしてみたら如何でしょう?

    返信削除
    返信
    1. いえ、ありがとうございます。
      こうしたボランティア団体に所属すると、外の意見などは殆ど聞こえてこなくなってしまうために客観的な意見というのは非常に大切です。

      で、ご指摘の話、中にいてこそ「勉強しろ」という事が言えますが、それはその時間を割ける人に対して言えることであり、「やれる人がやるしか無い」という状況であるのは事実であります。「余力」というのは作り出すものだと理解していますので。

      それを踏まえた上で、PTA廃止論というのは「学校単位で合意形成されれば」ありだと思います。その辺りは追記でも紹介させて頂きました。
      しかし、システムそのものを無くすことには反対です。日本PTAという組織があり、運営ノウハウはそこに蓄積されるべきで(実態は知りません)、個々の団体には支援システムとして機能する状態であるべきでしょう。

      紹介した記事では、PTA廃止を経てい、前向きな「保護者の会」が出来上がったのですから、素晴らしい事だとは思います。ただ、そこまで似た組織ならば、PTAを復活させた方がメリットもあるのでは?と僕は考えてしまいます。

      そもそも、この手の箱を用意するのは行政の仕事です。そして、その箱の配置を調整することまで(この手の箱は、隣り合う箱との距離間が非常に大切になります。お互いの影響を及ぼし合う関係、相互補完できる部分が存在しないと、有機的に機能しません)が、行政の仕事なのですが……、行政はそこを怠慢で、或いは目を向けてはいません。
      「共働」という言葉を調べて頂くと、なかなか興味深い事を感じ取って頂けるかと思います。ただ、これもまた前提として「余裕」があっての話ではあります。ただ、荒唐無稽な空論というわけでは無いので、そこに近づける努力を行政がし、箱の中身を市民団体が造り上げるというのが、そこにあるべき姿なのですが……。

      残念ながらボランティアが善意の上に成り立つという構造でいある以上は、上手く行かない団体があちこちに出てくるのは仕方が無いのですよね……。そこを上手く動くようにデザインするのが、その組織のトップなのですが、ここに経験者が座れば良く、そうでないととんでもない事に……。
      企業ならば、おかしな経営者がやれば潰せば済む話になります。が、そうは行かないのがこの手の団体です。


      ならば潰してリセットを。
      暴論に思えますが、個人的にはアリだと思います。失って初めて気がつく事は沢山ありますしね。

      ただ、潰す選択をした時に、復活させるには多大な努力を要しますよ、と言う点はやはりくどい様ですが、言及せねばなりません。
      手順を踏んでPTAを解体した場合、再び立ち上げる時に必要な手順は何処に行けば分かりますか?その辺りをもう少し行政が周知し、潰し、復活するという選択肢が採れることを周知しなければダメでしょう。

      また、PTAに参加したとき何が得られて、何が得られないかを周知する必要があるはずです。ハッキリ言って、やる気がある人がやる健全な組織であるべきなのですから。


      ああ、半分くらい愚痴になっちゃいましたね。ゴメンなさい。

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  2. とりあえず、神奈川の教育委員会はそりゃ酷いもんだ、とだけ書き込んでおきます。
    なんたって、海老名市は「市立小中学のプールから汚染物質が検出された(どこから何が、は失念しました)」→「全校のプールを潰して水泳の授業は今後無し」という選択をしましたから。
    プールを回収する予算が惜しかったのか、教師がプールの授業をしたくなかったのでこれ幸いと潰したのか、そのあたりはご想像に、と言う所ですが……
    繰り返しますが、神奈川は色々と酷いです。
    まあ、特に現知事が酷いですが。

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    1. 神奈川県と言えば「黒いわ知事」ですか。
      ええ、間違えましたとも、黒岩さんですね!


      学校も事なかれ主義なので、色々とアンタッチャブルにしたい事は多いのでしょうね。僕の子供の通う学校でもそりゃ酷い事件が。まあ、特定されるのもあれなので、内容は伏せますが。

      学校の先生も、地域開催のイベントには消極的なんですよねぇ。積極参加すれば、個人の自由時間が奪われる、強制だと「ブラック」だと問題になる。それは分かりますので、あまり言及したくはありませんが、学校の時とは違う子供達の姿を見る、って考えは……、無いのかも知れません。

      削除

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