教育無償化を考えてみる

今回の選挙で出てきたワードの1つがこれ。
前回は、ベーシックインカムの話であったが、まあどう考えてもちょっとおかしな話であった。事実、希望の党くらいしかベーシックインカムの話を出してはいない。そこまでキワモノの政策なのだ。ところが、教育無償化という話は違う。多くの政党が言及しているのだ。

対北朝鮮の圧力強化を主導、幼児教育無償化を加速 憲法改正を目指す

2017.10.2 23:24
 自民党が2日に発表した衆院選公約の要旨は次の通り。
~~略~~
【人づくり革命】幼児教育の無償化を一気に加速する。2020(平成32)年度までに3歳から5歳までのすべての子供たちの幼稚園・保育園の費用を無償化する。0歳から2歳児についても所得の低い世帯に対して無償化する。2020年度までに32万人分の保育の受け皿を整備。支援が必要な所得の低い家庭の子供たちに限って高等教育の無償化を図る。消費税10%時の増収分について、子育て世代への投資を集中することで「全世代型社会保障」へと舵を切る。

安倍首相:私立高校実質無償化を検討へ、公明に配慮-経費は800億円

2017年10月9日 10:25 JST
安倍晋三首相(自民党総裁)が8日の日本記者クラブでの党首討論会で私立高校授業料の実質無償化を検討する考えを表明した。
これが自民党案。

公明 衆院選公約に教育負担軽減 憲法改正は盛り込まず

10月5日 14時51分
公明党は衆議院選挙の政権公約=マニフェストを発表し、幼児教育や私立高校の授業料の無償化など、教育負担の軽減に取り組むことを打ち出しました。
公明党がこれ。

日本維新の会 松井代表「身を切る改革で教育無償化」

2017/10/8 19:40
松井一郎・日本維新の会代表 維新は身を切る改革で教育を無償化する。大阪府では改革による財源で、高校まで私学を含めて実質無償化している。これを全国でやりたい。
日本維新の会がこれ。

希望の党の公約要旨

2017/10/6 18:30
~~略~~
【教育・子育て】
 「待機児童ゼロ」の法的義務付け。
 配偶者控除を廃止し夫婦合算制度へ移行する。
 幼児保育・教育の無償化、大学の給付型奨学金を大幅拡充する。



希望の党がこれ。

立憲民主が公約発表 「憲法9条改悪に反対」

2017/10/7 20:00
~~略~~
【教育・子育て】
 児童手当・高校等授業料無償化とともに所得制限の廃止。
 大学授業料の減免、奨学金の拡充。


立憲民主党はこれ。

段階的に学費引き下げを

いま必要なのは、憲法を生かし、高等教育を段階的に無償化することです。日本共産党は当面、10年間で大学授業料を半額にすること、月3万円の給付奨学金を全学生の4人に1人にあたる70万人に支給することを提案しています。
日本共産党はこれ。
社民党に関するニュースは見つけられなかったけれど、社民党も基本的には教育無償化方針を採っている。少し前の話で申し訳無いが、今年の5月頃に報じられたのがこちら。
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そんな訳で、既存政党はほぼ教育無償化という方向性は賛成しており、スタンスの違いだけだという事がハッキリした。
スタンスの違いというのは、改憲して教育無償化を目指すのか、そうでは無いのか。大学まで含めるのか、含めないのか。そんな辺りである。


さて、個人的な見解を述べさせて頂きたい。

僕自身は教育無償化には反対である。

いや、中学生までは無償で良いと思う。しかし、高校生、大学生に対して無償化を持ち出すべきか?という点については非常に疑問を抱いている。
これは財源の面を見ても、限定的にすべきであろうと思うし、教育への投資効果と言うのは年齢が低ければ低いほど高いと言われている。割と経済学では常識的な話らしい。
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……限定的賛成、と言う言い方もできるかも知れないが、とにかく、無償化というのを、学校教育機関で学ぶ全ての人に網をかけると言うのには反対である。

こういう立場であるので、自民党の安倍氏が言及している私立高校無償化というのにもやはり反対である。だって、私立高校に望んでいったんだろう?公立や都立が無償になるのとは訳が違うのである。

大学無償化?バカか、アホかと。
高校は、「高等学校」の略称である。高等な教育をするための機関で、「義務教育では無い」ので、だからこそ無償化すべきでは無いと、そう考えている。大学は更に高度な勉強をする場所であり、それこそ勉強ができる人が行くべき場所である。勉強が嫌いな人間が行く場所では無いのだ。だからこそ、無償化すべきでは無いのだ。
自民…教育無償化、大学の質懸念
 衆院選では、消費税増税分の使途変更にからみ、安倍晋三政権が看板政策「人づくり革命」の柱に据えた幼児教育の無償化や、高等教育の負担軽減が争点の一つになる見通しだ。確かに幼児教育の充実は格差是正などの効果が見込める。半面、大学などの高等教育の無償化は、大学の質の低下につながると懸念する指摘も根強い。
自民党内部からもこの様な声があがっているが、これ以上大学の質を落として意味があるのか?という話だ。



そして、馬鹿な大学生を養殖するためのアホ大学が増えている実態を考えると、大学そのものが淘汰されるべきであり、大学生の質を高める方向に舵を切るべきであり、その流れに大学無償化は逆行する制度だと考えている。

貧しいけれど大学に行きたい人が、お金のことだけで学ぶ機会が得られないのは、公平では無い等と言う話が出ることがあるが、そもそも人とは不公平な立場に置かれるものであって、無理に公平を目指すべきでは無い。歪な形の公平など、寧ろ害悪なのである。
優秀な人間が「貧しい」状態にあると、だったら、奨学金制度を充実させれば良い話だと、僕は考えている。本当に優秀な一握りの人には、ただで学んで貰う。その為に努力する。それの何がいけないのか。

給付型奨学金の推薦指針、高校に通知 成績と課外活動が条件

2017/4/24 12:22
 日本学生支援機構は24日までに、今年度創設した給付型奨学金の受給対象者を高校が推薦する際の指針をまとめ、全国の高校に通知した。「高い学習成績」もしくは「教科以外の学校活動での優れた成果」を満たすことが条件。高校ごとに行う選考では面談やリポートを通じて、進学後の学習意欲や今後の人生設計なども確認する。
そして、今のところ、貧弱ではあるけれどもこうした給付型の奨学金というものは存在する。調べてみると、所得制限などがある様なのでそうした事には反対したいが、今ある制度を使って、不味い部分を変えていけばそれで済むじゃ無いか。

よって、大学を減らし、大学の質を高めると共に、給付型奨学金制度の不具合を修正していって欲しいというのが僕の考えである。

で、それとは別にやって欲しい事がある。それは、今、ハローワークにくっついている職業訓練のシステムをもう少し拡大して、中学を卒業、或いは高校を卒業したときに即戦力という形で支援するようなシステムを整備して欲しいとその様に考えている。
面白いと考えているのは、トヨタ自動車大学校みたいな取り組みである。即戦力を育て、トヨタに就職させるみたいなシステムになっているが、もう少し汎用性を高め、自動車関連の企業、何処にでも行けるみたいな支援のあり方が面白いと。最近は大工になる為の大学というものもあって、多少はその方向に進んでいるのかなとは思うが、もっと組織だってやれるようにならないかなと。

ドイツでは縮業訓練の学校が存在するが、このシステムも問題は抱えているようで。
ただ、学ぶべき点はあると思っている。マイスターを育てるというのは、日本でも重要な政策になると、その様に考えているからだ。
各業界でアライアンスを組んで職業訓練をできるシステムを構築してはいかがだろう。

色々な意見があると思うが、こうした事を真面目に考えてみることは必要な事なのだと思う。皆さんも是非、教育の無償化について考えてみて欲しい。



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コメント

  1. 私立高校の無償化は、現在、既に自治体単位で(所得制限ありで)進んでいます(東京都は今年度から)。多分、これを財政が厳しい自治体にも拡充させたいのだと今回の政策を解釈しています。
    (ただし、「授業料相当」で施設費等は別のため、結局年間4,5十万は必要になるかと。)
    公立があるのに自分で私立に進学したんだ、という場合もあるでしょうが、「大丈夫と思っていた公立に落ちてしまった」場合も現実にはあります。
    また、我が子の周囲で、トップクラスの都立が狙えそうなのに「公立以外は不可」な経済状況のため希望を安全圏まで落として受験していた子がいました。これは他人ごとながら切なかったです。
    確実な受け皿がある「中学」の私立進学への補助が必要かどうかについては疑問ですが、高校については、もう少し費用を気にせずに受験できてもいいのではと思っています。

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    1. そうですね、私立高校に補助を、という考え方はご指摘の様な側面も有りますし、必要な部分はあるのかと思います。
      ただ、私立を選ぶ理由がなんにせよ、全額を無償化するというのは賛成できないのです。公立に通った場合にかかる程度の費用を、という形であれば未だ分かりますが。

      そして、そもそも全員を高校に進学させる意味が本当にあるのかというのは、僕のかねてからの疑問なのです。それならば、義務教育化すれば良いではありませんか。
      実質、全員が高校へという時代になっていますが、勉強をやらない子を学校に縛り付けることが本当に正しいのかという疑問は常にあります。そして、6・3・3という形が望ましいかも、考え直す機会にしたら良いかと思います。受け皿の構造改革は難しいのでしょうが。

      削除
  2. あるけむ(R.K.M)@fwbc1965_32017年10月11日 4:36

    この記事の内容に、ほぼ同意です。それよりも、実施すべきは、以下の項目ではないかと考えます。
    ・幼児教育の無償化
    ・成績優秀者への奨学金制度拡大(部分的無償化)
    ・成績不良者向け大学の専門学校化(有償化)

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    返信
    1. ああ、ご指摘ありがとうございます。
      幼児教育の無償化について書いたつもりが、アレは別の記事でした。僕自身も幼児教育は無償化することと、幼保一元化を推し進めることは必須であると思っています。
      教育バウチャーという形の配布でも良いのですけれど。

      そして、上の方への返答にも同趣旨のことを書きましたが、勉強をやりたくなければわざわざ高校・大学と進学させなくとも良いと思います。
      専門に特化した学校を増やすという着眼点はそうした話でして、ただ、それは「成績が悪いから」ではなく、寧ろ、一分野を専門的に学びたい人向けという方向が良いのかと。

      削除
  3. 幼児教育無償化なんて現政権に任せたら、教育勅語とか暗唱させられそうでコワイです。

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    返信
    1. 日本共産党に任せて赤化するよりは、教育勅語の方が随分とマシだと思うんですけどね。
      時代に合っていない部分を現代版に翻訳する必要はあるのでしょうが、親孝行してお国のためにしっかり学べというのは、何処の国でも当たり前の話ですよ?

      まあ、マルクス主義も偏った部分はありますが、全ておかしいというわけじゃ無いのですけれど。

      削除
  4. けるぴむさん、それでは改めてよろしくお願いいたします。

    「リベラル-Liberal-」という言葉の持つ意味とそのひびきに、長年関心を持ってきたんですが、あくまで僕個人の解釈と考え方です。

    僕のリベラルの原点は中学校の歴史教科書に簡単に紹介された、古代ギリシアの政治家ペリクレスへの興味から発しています。

    まず、2500年前に古代民主都市国家として世界の中心だったギリシアの、この優れた政治家の言葉を引用しますね。(演説の名人、つまり指導者にとって最も重要な才能の一つを持っていた政治家です)
    ちょっと長くなりますが、最も有名で僕が大好きな彼の言葉を引用します。

    我々は、美を愛する。だが、節度をもって。
    我々は、知を尊ぶ。しかし、溺れることなしに。
    我々は、富を追求する。
    だがこれも、可能性を保持するためであって、愚かにも自慢するためではない。

    貧しいことは恥ずべきことではない。しかし、その貧しさから脱しようと努めず、安住することこそ恥ずべきことであるとアテネ人は考える。

    アテネの住民は私的な利益を尊重するが、それは公的利益への関心を高めるためでもある。なぜなら私益追求を目的として培われた能力であっても、公的な活動に応用可能であるからだ。
    アテネでは政治に関心を持たない者は市民として意味を持たないものとされる。

    いかがでしょう? シンプルでありながら寸分のブレもない、2500年前のリベラリストの神髄と言えないでしょうか?

    現代の西欧でもリベラルの解釈は大きく変節してますが、それでも日本とは違って「経済的な自由主義」と大まかに捉えられています。(2500年前のリベラリストは人間そして社会の根幹となる、「自由という観念」の基本にズバリ切り込んでいます。)

    古代社会ですから奴隷制度もあったわけですが、ご存知の様に奴隷はただ虐待されていたわけではなく(市民権&参政権は当然なかったけど)、例えばプラトンは奴隷として買われたにも関わらずギリシア学問で重要な地位を占めていました。(古代ローマでも奴隷として売られたギリシア人が家庭教師なんてザラだったようです)

    さて、日本ではどうでしょうか?
    「学問のすすめ」で殖産による富国(国に頼らない経済自立を経営者に求めたのがポイント)と軍の近代化(強兵)による自主自立=安全保障を説いた、諭吉翁が一番有名で判りやすいと思います。

    次に戦前はジャーナリストとして大日本帝国に反旗を翻す言論を突きつけ、戦後保守合同の一年後(今の自民党ですね)、待望の総理として期待された石橋湛山公で、病気の為に短期退陣を余儀なくされました。
    彼ほどリベラルに忠実な政治家が手腕を発揮する前に退陣した事は、戦後の経済成長を前に非常に残念だったと思っています。(米国を巻き込んで支那・旧ソ連との平和同盟まで踏み込んだのは勇み足で評価できませんけど)
    余談ですが、彼も諭吉翁と同じく朝鮮統治(当時は台湾植民地にも)に反対だったという事です。

    さて、現在のリベラルの位置づけはどうなのか? けるぴむさんご指摘の通り、統制経済=共産主義思想を党の旗印に掲げる、共産党&旧社会党は「リベラル」とは最もかけ離れた存在なんですよね。

    そして、「リベラル」最大の高潔な美徳であり、かつ最大の弱点である「多様性」を担保しない政党であり、それを(自由という都合の良い言葉だけ)悪用した言論を展開してきたのが共産党・旧社会党な訳です。
    しかも、護憲=リベラルなんていう文脈的にすらまったく繋がらない論調が、TV&新聞で当たり前の様に語られる惨状には呆れています。

    自衛隊を違憲とし国の安全保障をまったく考えないダブルスタンダードの憲法を、何の疑問もなく守るのが「護憲」と称している集団が、なんで無条件にリベラルとなるのか?一度ちゃんと説明して欲しいもんです。
    僕は一番スッキリして判りやすい「革命派」と呼ぶのが正しいと思っていますが、ヤンワリとなら欧米では当たり前の「左派」という呼称がギリギリセーフじゃないかな?

    21世紀に入り「もはやリベラルは死んだ!!」と揶揄される有様なんですが、世界はともかく日本では悲しい現実として認めざる得ないところまできています。
    自民党(リベラル・デモクラシー・パーティー)のリベラルは、前述した諭吉翁の理想からかけ離れ、財界を甘やかし自主独立の気概を完全に削いでしまっています。
    10年くらい前に「純利益が1兆円を超えた」とハシャイでいた日本のトップ企業や当時経団連会長の企業は、リーマンショックでオタオタと醜態を晒し真っ先に雇用の安全弁を使う始末でした。
    そんな財界と未だに仲良しゴッコしている政党・政治家に、リベラルを語る資格は絶対にないと思っています。(維新しかり醜悪な臭いのする新党しかりです)

    つまり、日本の政党いや政治家に本当の意味のリベラル派は存在しない(完全に絶滅した)・・・、といっていいでしょうね。

    その片棒を担ぎ国民の意志をあらぬ方向に導く手段として、「リベラル」を意図的に極めて悪質な言い換えで誘導してきたのが、腐りきったマスメディアじゃないかな?
    頭は良かったレーニンがマルクスの資本論の都合のいい部分だけつまみ食いし、頭は悪かったけど強欲さは誰にも負けないスターリンがその一部だけを悪用し世界を混乱に陥れたのと、基本的には同じ構図だと思います。

    それでも僕は「リベラル」という炭のカケラはか細いけど残っていると信じたいですね。
    「炭のカケラ」とは上杉鷹山公が使った比喩の引用なんですが、微かでも火が残っている限り、それを他の人間に移す事を諦めなければ、いつか大きな力となって国が救われるきっかけとなる・・・、というエピソードです。

    最後に余談ですが、戦後民主主義教育の最大の失敗と厄災は、「自由」を「Free・Freedom」と訳した事じゃないかと思っています。(やっと教育問題に関連付けられました-苦笑-)
    僕の中学・高校時代は日教組がまだかってし放題でしたが、大学生になって初めて本当の知的開放感を得たように思います。(説明できない気持ち悪い不自由感からの解放)

    では、なぜ「自由」を最も相応しい意味の「リベラル」と訳し、その根幹たる意義を追求する教育を放棄したのか?(そもそも、哲学の授業そのものがないのがオカシイ!!)
    これは僕の完全な妄想ですが、リベラル最大の弱点を突いて完全に死滅させたい勢力が世界を牛耳ろうとしている・・・、そんな怖れを抱いていますね。

    「リベラル」とは僕にとってけっしてイデオロギーなんかではなく、多様な文化を知的に学ぶ自由を担保し&歴史に真摯に向き合う、いわば僕にとっては精神的支柱・・・、いやはっきりと「プリンシプル」と自負しています。(微笑)

    長文失礼しました。

    返信削除
  5. まず図々しくも正規のスレを使わせて頂く事、この場をお借りする事。木霊様の寛大さに感謝をいたします。

    マスメディア反乱軍様。
    ありがとうございます。
    実を言うと思想や哲学は苦手分野なのですが。大いに共感するものを感じました。
    ペリクレスの引用は簡潔にして
    的を射たものと思います。
    それが実務性と理想を上手く表現している部分に、カトリックの私としてはプロテスタント的な良さを感じましたが。

    現代社会におけるリベラルのワード使用や、その欺瞞についての御見解は、ほぼ私も賛同するものであります。
    しかし私が最も感銘を受けましたのは「哲学を授業に入れよ」
    なのであります。
    ここ重要と私は思う。

    哲学とくにそこから発する形而上学は大事と思います。
    何故か?
    これは私が鍼灸マッサージ師でもあり、そこから見える部分でもあるのです。
    そうですねぇ……。
    「東洋哲学」と書くと、それは大抵の場合、インド哲学を示しますね?
    一方で「東洋思想」と書くと、そこに孔子、孟子の儒学。さらに老子以後のタオの思想が入る。哲学には入らない。
    それは何故か?
    そこなのです。教育に哲学をいれるべきとする核心は!

    非常に乱暴な言い方をしてしまうと、孔子も老子も「世渡り術」なのですよ。
    例えば孔子の「目上に従え」的な教えとは、実は人間関係の数値化です。これは彼が戦国の思想家であった事を加味せねばなりません。
    ようするに長子相続が確立していなかった時代、それが王や諸侯では内乱の原因になる。
    社会を安定して平和にする為には人間関係をビジュアルに分かるような「序列」による数値化して、下克上や御家騒動を避けねばなりませんと。
    故に儒はビジュアル化として式典を大事にします。
    国家運営にまで話を拡げていますが、これ要は「世渡り・人間術」です。
    中国に「思想」あれども「哲学」なしなのは、ここです。

    鴨長明の言葉に、
    「川の流れは絶える事を知らず…」というのがありますね。
    昨年の今頃に川の流れに脚を浸したら冷たかった。
    そして今年も冷たかった……

    これって「文学」ですよ。
    鍼灸を習いましたので、中国の自然哲学は基本になってます。
    陰陽互換と申しまして、陰は極まると境界線から先は質的な返還を遂げて、対極に移動する。
    太極図がそれです。
    季節が秋分や春分を境に、暑さ寒さが逆転して行くように、
    中国の自然感は「流転」が基本です。
    対するインドは元素論です。
    これはギリシャの原子論と同様に、物質を最小限にまで細分すると、絶対に性質を変える事のない単位に突き当たる。
    つまり「流転」は起こり得ない。するとですね、人間についても社会についても法則性の適用が厳格になる。

    再び鴨長明に戻ると、

    水というのは位置エネルギーに従い流れてゆく。重力に反してながれる事はない!
    ならば、昨年の川の流れの水は同じ場所に留まるはずはない!
    昨年の水は今年の水とは別物である。従って冷感が同じであっても、「同じ体験」の訳がない
    ……と考えるのです。

    このように徹底的に合理性を持って論理を追及するのが形而上であり、哲学であると思います。
    そこに行くと、中国以東の「思想」には人間の主観が必ず入り、それ故に甘くなる!
    それが「文学」と呼んだ理由であります。
    長くなるので省略しますが、ヨーロッパもインドと似て「執こく徹底的」なのです。
    針の先に千人の天使が停まれるか?とかアホな議論を中世の間に延々とやってますから。
    でも議論のやり方は、そこで徹底しとるのですね。
    だから「合理主義」が産まれ、自然科学が発達した。
    中国を含めて「アジアの停滞」が近代以後に起きてくるのは、
    こうしたロジカルな徹底性が
    欠けるからだと思うのです。

    世界最初の法医学書は宋朝の
    「洗冤集録」です。
    犯罪捜査や法廷陳述において医学知識を用いたのは西洋より1世紀早い。でも…
    読むと解るのですが、著者は解剖学の知識がある。
    しかし、儒教的な倫理観に押されて、解剖学も法医学も中国から消えてしまう。
    どうしても「人間性」を論理に持ち込み、倫理なのか論理なのか解らなくなる。
    だから科学は発達せず、アジア的停滞に陥り、西欧に蹂躙されてゆく訳ですが。

    で、このような論理に対する厳格かつ執拗さは、実は日本人にも欠ける部分であると思うのですね。
    その為に「哲学」を教養文屋として高校レベルもしくは義務教育段階から取り入れよと思うのです。
    これが貴兄の哲学導入論に私が大いに共感した理由です。

    長文を失礼いたしました。
    長長とばを独占した事を、
    主宰者の児玉様。
    他の読者の皆様にお詫びいたすと共に、場をお借りできた事をお礼参り申し上げます。
    ありがとうございました。



    返信削除
    返信
    1. まず木霊さん、ブログ内での我がまま寛容して下さり心から感謝です!!

      けるぴむさん、さっそくの熱いレスありがとうございます。

      >哲学とくにそこから発する形而上学は大事と思います。
      >何故か?
      >これは私が鍼灸マッサージ師でもあり、そこから見える部分でもあるのです。

      人間は取り巻く社会現象を通じて・仕事を通じて・人間関係を通じて・普通の生活を通じて、つまり生きていく過程の全てに「哲学」というものが垣間見える(普段の生活では意識していなくても)という事でしょうか?

      僕も哲学が得意なわけじゃありませんが、少し掘り下げて感想を書いてみます。

      >「東洋哲学」と書くと、それは大抵の場合、インド哲学を示しますね?
      >一方で「東洋思想」と書くと、そこに孔子、孟子の儒学。さらに老子以後のタオの思想が入る。哲学には入らない。
      >それは何故か?
      >そこなのです。教育に哲学をいれるべきとする核心は!

      僕はけるぴむさんと違い、無神論者と言っていいノー天気な人間なんですが(あえて言えば八百万神信仰かな?-苦笑-)、般若心経にはある種の哲学を感じていますね。
      僅か262文字の(しかし方程式に通じる整然とした美しさがある)お経であり、元はインドのサンスクリット語の意味を、釈迦の教えに忠実だった三蔵法師が漢字に直し、それが日本に渡ってきたんですが、ある種の釈迦に代表される仏教的哲学の神髄と解釈しています。

      つまり貴方が仰るように「思想や教え」を超越した東洋哲学の一つじゃないかな~?
      だからこれは、ちっとも「乱暴じゃなく」すんなりと理解できますよ。
      論語自体は高く評価していますが、「処世術」の域を出た哲学とは思えませんもん。
          ↓
      >非常に乱暴な言い方をしてしまうと、孔子も老子も「世渡り術」なのですよ。

      広大な領地を何千年も続く抗争(王朝交代)で統治してきた支那ですから、「生き残る為だけの世渡り術」が広まったのも仕方ないかも知れませんが、けるぴむさんのご指摘は的をズバリと得ていると思います。
      実際、上にへつらい下からは賄賂で吸い上げる今もまったく変わらない浅ましい感性が(何千年の歴史が植え付けた浅ましさかな?)、国家運営の中心であり支那の異常な貪欲さを表していますもんね。

      これも眼から鱗といえるシンプルで的確なご指摘であり、本当に勉強になりました。
      こうシンプルに解釈すると哲学と思想の根本的な違いがわかりやすくなりますね。
          ↓
      >中国の自然感は「流転」が基本です。
      >対するインドは元素論です。
      >これはギリシャの原子論と同様に、物質を最小限にまで細分すると、絶対に性質を変える事のない単位に突き当たる。
      >つまり「流転」は起こり得ない。するとですね、人間についても社会についても法則性の適用が厳格になる。

      根本的に人間には甘さ(自分可愛さ)があるわけですから、どんなに立派な「思想」であっても「主観=自分の都合いい解釈」が入ってしまっては、けっして揺らぐ事のない思想(イデオロギーと言ってもいいかも)なんて不可能であり、時代と共に変節するのは免れないでしょうね。(数多くの歴史が証明しています)
          ↓
      >そこに行くと、中国以東の「思想」には人間の主観が必ず入り、それ故に甘くなる!
      >それが「文学」と呼んだ理由であります。

      だからこそ、考える力の源である「哲学」は大切だと思っています。
      そこで、日本の現代教育に立ち返ると、国語は「物事を理解する為の基礎」→数学は「国語的読解力が不可欠」→自然科学は「数学を発展させ合理的な回答を得る手段」→社会は「人間の歴史やそれに影響を与えてきた地政学・宗教的動機を学ぶ為の重要な知的財産」・・・、そしてそれらを統合し俯瞰的に見て深慮し考えるために必須の「哲学」・・・、その一番大切な骨が抜けちゃってるのが今の日本教育と憂いています。
      つまり、骨のないフニャフニャな状態・・・。

      P.S.
      僕は小説に代表される「物語の世界」を愛しています。
      もちろん、作者・作品にもよりますが(数少ないんですけどね)そこには確固たる「哲学」が一貫して主張されて、それに共鳴するところが大いにあるからです。

      逆説的ですが、僕の愛するR・チャンドラーの大好きな言葉を引用します。
      「僕の住む世界には-哲学-なんて奇妙な動物は存在しません」 - by  R・チャンドラー

      孤高の一人称ハードボイルドヒーローであるP・マウローの行動と言葉には、一貫した人間の強さがあるんですが(=ほとんど哲学的です)、あえてそれを見せないのが彼の小説をたまらなく愛しい存在にしている・・・、僕が「意味のある物語」の世界から抜けれない理由です。(微笑)

      削除
    2. きょう日のお若い方がチャンドラー読むとは驚きました。ハメットとロス・マクと並ぶ御三家ですが、大恐慌、禁酒法時代のパルプマガジンに連載された小説ですから。
      アル・カポネと黎明期のFBIが「アンタッチャブル」やってた時代です。驚きました。

      削除
    3. けるぴむさん、レスありがとうございます。

      >きょう日のお若い方がチャンドラー読むとは驚きました。

      アハハ、国に依存する生き方が嫌で自立する為、30代で脱サラしましたけど、そんなに若くはないですよ。(想像にお任せしますが)

      >ハメットとロス・マクと並ぶ御三家ですが、大恐慌、禁酒法時代のパルプマガジンに連載された小説ですから。

      そうですね、すでに古典といえる御三家ですが、みんなそれぞれ個性があって大好きです
      特にR・チャンドラーは長編・短編を何度も読み返していて、忘れられないシーンや珠玉のセリフの数々はそらで覚えているものもたくさんあります。
      彼の作品の翻訳者の代表格は故清水俊二さんで大好きなんですが、最近は村上春樹氏の新訳も秀逸ですから、合わせて読み返す愉しみが増えた喜びもあります。

      チャンドラー・フリークのR・B・パーカーや、ちょっと異質のM・リューインなんかも好きですね。

      日本の古典にも名作はたくさんありますが、人間の生きている臭いというか、物語の中に人の本質を緻密&丁寧に描写する(難しい表現という意味ではありません)作家が好みです。(村上春樹氏はもとより、山本周五郎さんとかですね)

      またまた完全に脱線しちゃってすみません。(苦笑)

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  6. マスメディア反乱軍様。

    文学と思想・哲学に京見を持たれるのは大事だと思いますよ。
    一見、無用な知識だけど。
    無用の用てのがあります。
    ここはアレだから省きますが、
    オレ、ある作品の読み解きで、
    プロの書評家に脱帽と言われた事があるの。ジャンプ系の集英社のマンガ原作大賞で二回だけ
    入選してます。
    その力をくれたの誰だと思う?
    ヤクザですよ。企業舎弟!
    私は若い頃に広域暴力団のフロントでリーマンしてました。
    その時に上司の企業舎弟の方が、映画や物語の読み方を教えてくれた。
    私は海外部門の下っ端でした。
    ロシアでマフィアに笑いながら拳銃を頭に押し付けられた事もある。
    で、教えてくれた上司ですが、
    ヤクザてのは暴力は手段であって目的じゃない!
    だからチャカを突きつけられた時に、殺されると考える前に、
    相手の要求(落とし所=オチ)を用意しろ!と。
    手段だから、抗争になった時に、相手を潰す殺す前に、全体のストーリーを読んで、オチを考えねばならん!と。
    暴対法以前の893は粗暴なイメージかも知れないけど教養ある人もいたんですぜ!
    彼等を観ていて、実は哲学とか文学とか「無用」と思われる教養を背骨(バックボーン)に持った方は、組織で成功してました。私はとっくに足を洗いましたが、成功して引退できた経済ヤクザの少なからずが「無用」な教養を持つ方でしたね。
    効率的に勉強もビジネスもする奴は、最後は組織で暴落するか、焦げつかせて殺られましたね。無用の用はバカになりません!

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    1. 追記)
      こいつは某国で鉱山の債権を社長が債権者会議で手にした事に始まるんだけど。
      反政府組織が現れる地域でさ。昼は政府。夜はゲリラ。
      で、テロリストとかゲリラときってのは、マフィアとは「物語」や「原理原則」が違うのね!
      結局はどっちも「金」なんだけどさ。
      暴力に関する意識が違うのさ。ヤクザは手段だけど、奴等は「目的」だ。いや、目的は政権奪取なんだろうけど、内戦が何年も何年も続く国では、なんか麻痺していて、暴力が手段から目的化されてるんだ!
      そういう時に、オチをどうもってゆくか?
      奴等は自分達の暴力てかテロてかを、「軍事行動」として捉える!
      「軍人」として扱わないと命にかかわる。
      つまり「大義」が必要なの!
      読み解くべきストーリーがマフィアとは違うんだね!
      だから君らの大義に参加したい!みたく話してゆく。それで飲ませて食わせて抱かせて、
      全然に大義でないけど、大義を語る。
      すると結構いける!
      物語や原理原則を読み違えると、こっちが危ない!
      解る?
      同じく野蛮な連中でも、ヤクザとテロリストは「文脈」が違うのね。哲学や思想は文脈を読むのに役立つし、
      文学もそうです!
      相手の内在欲求と、それを縛る文脈を読む事さ!
      文学は役に立つよ!
      映画も小説も!
      俺がプロの書評家に誉められたのは、奴等より命懸けで「物語」を読む訓練したからです!
      日本でサブカルとか謂ってる批評家とか、ぬるま湯育ちだろ?
      バカ野郎が!
      文学は役に立つよ!

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